江戸患いと穀物のあれこれ

『そば処 竹の家』で天せいろをいただきながら、以前にそばのエントリを書いた時に、“次の機会があったら書くよ”的なことを言っていたことを思い出した。
まあ某医療従事者が江戸時代にタイムスリップしてしまった漫画、ドラマを見ていた人には良く知られている話だ。

最盛期の江戸の人口は推定150万人ほど。
これは定住者と一時滞在者を合わせた数字らしいが、今と変わらず食料は外部から持ち込まれていたものに頼っていた。
で、この時の江戸の主食は精米した白米。それに一汁とおかず一品程度が基本的な献立となる。

問題は現在ほど食品の保存方法が確立しておらず、おかずにバリエーションがない、ということだ。
となると必然、栄養状態に偏りが発生する。

端的にいって、ビタミンB1の深刻な欠乏が発生したのだ。
米類にもこのビタミンは含まれているが、大体は米ぬかと一緒に精米時に廃棄してしまっていた。
結果として、発生する病気、それが脚気だ。

日本の脚気の歴史は古く、『日本書紀』などにも脚気様の症例の報告が見られる。
平安期以降、白米食が公家に広まると、脚気は一気に広まったという。
一方そのころ玄米食を続けていた農村部では発生例がほとんど見られなかったことから、日本の脚気は玄米の精米時に廃棄されるビタミンの不足が主原因であることは明確だった。

とはいえ、当時の栄養学ではそもそもビタミンという概念自体がないわけで。

それまでは公家や武家の頭領集など、支配者層のみが罹患する病気であった脚気が、江戸期において、白米食が一気にひろまった結果として民衆に大流行することになる。
通称「江戸の病」「江戸患い」といわれるくらいなので、江戸で脚気がどれだけ流行していたかは推して知るべし。

で、その脚気禍に見舞われていた江戸でも、東西で流行の度合いが違っていたらしい。
端的に今でいう下町といわれる、東江戸では脚気がほとんど発生していなかったというのだ。

理由がそば。
今でもそうだけど、下町では白米以上にそば食が好まれていたようだ。
で、このそばにはビタミンB1が豊富に含まれており、結果として脚気の流行が起きなかったということらしい。

収量あるいは土地面積当たりの炭水化物含有量でいえば米というのは穀物の中でも頭一つ抜けていて、日本の人口増はコメが支えてきた面があるのだけれど、意外な弱点もあったものだ。

ちなみに成果じゅうでの主流は小麦だが、これは炭水化物量としては米に劣る。
ただしコメは生育条件が厳しいのでヨーロッパ等では栽培に適さない。小麦はどんな土地でも育つというのは大きな強みだね。
まあ日本という土地は狭いながらも人口が増えるという土壌があったということだろう。

なんてことを、めんつゆにエビのてんぷらを浸してサクサクと食べながら考えたのである。

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