香川でうどんがこれほど一般的になった理由

讃岐うどんといえば日本を代表するブランドうどん。
近年では香川県自身が「うどん県」を自称してPRに乗り出すなど、自らうどんをアピールしているが、一昔前はむしろ“大晦日にそばじゃなくてうどんを食べる”とか“蛇口をひねるとイリコだし”がでてくるとかいじられる対象だったような気もする。

まあ蛇口云々は隣の愛媛のみかん文化の輸入からだとは思うのだけどれ、とはいえそれらもうどんが実際に日本中で有名であったればこそ。やはり香川は昔からうどん県の認識ではあったわけだ。
で、そんな讃岐うどんであるが、僕がこどものころには現地まで行くか、高級なお土産、あるいはお取り寄せな逸品であったはずである。以前、もう20年以上前になるだろうか、高松を訪れた歳、栗林公園のそばの、いかにも多くの観光バスが訪れるような駐車場付きのビルでうどんを食べ、そして乾燥麺をおみやげに買って帰ったことをよく覚えている。
いや、実際に買ったのは親だったわけだけど。そんな昔に、お土産物を買って帰るような相手も、それだけのお小遣いもあるわけがないので。

香川出身者に聞いたところ、そのビルはまだある、とのこと。正確にはそういうビル状の観光客誘致施設はまだある、ということで全く同じ建物かどうかはわからないのだが、今訪れればあの時の自分の親のような行動を取るのかもしれない。
ちなみにその栗林公園であるが、今調べたらどうやら景勝地として有名な日本庭園、ということらしい。
正直言ってまったく公園の景観を覚えていないのだが。今もう一度行ったら楽しそうだなぁ。

そんな讃岐うどんであるが、最近では東京でもそれを名乗る店が増えてきて、気軽に食べられるようになってきた。
もちろん本場の方からすると違うのだろうが、そば優勢だった東京でここまでうどん店が増えたのは本当に最近。
多分きっかけというか、タイミング的にはテレビドラマにもなったなんちゃら団が東京に進出した時期だったと思う。

そんな香川がでなぜうどん文化が花開いたのか、というと、要するに香川では米が取れない、ということが原因なのだ。完全に栽培ができないわけではないのだけど、溜池が発展するほど慢性的に水不足な香川では二毛作などを用いて米の収量を増やすことが難しかった。
そこで、裏作として米の期間外に育てる作物として小麦が栽培されてきたわけである。

また、瀬戸内海に面しているため、塩の生産量が多かったことも幸いした。
イリコ出汁と併せて、小麦が取れる地域で塩が豊富、ということでうどんを魚介だしでいただく文化が発展したわけである。

ところで米が取れないと困るのは何も民衆だけでなく、当時の高松藩は年貢の設定に苦心したようだ。
武家による封建社会は土地からの生産物を吸い上げ、代わりに治安を維持する当地体系であり、その社会を維持する武士階級には給金ではなく米で給料が支払われていた。だから大名家や国の規模を示す単位が石高になったわけだが、この「石」(こく)とはつまり、米俵の数である。

ところが高松藩では米が取れない、ということで他に年貢として何かを収めさせないといけなかったわけだが、これが塩と砂糖なのである。
香川県産の和三盆といえば京菓子に取り入れられ、いまでも高級品なのだが、実はうどんと同じように米が育ちにくい土地柄の産物というのは実に興味深い。

ちなみに、他の地域では高級品であるはずの糖を大量に活用できる文化の産物がもう一つ。
雑煮である。詳細は検索して貰いたいが、知らなければきっと驚くことうけあいだ。

さて、本日は「讃岐うどん 蔵之介」にて、現在では東京でも気軽に食べられる讃岐うどんをいただいた。
まあ香川と比べると驚くほど高い。天ぷら載せたら千円を超える、というのは本場の人が聞いたら驚く価格設定だ。が、そこらのチェーンより確実に美味い。
そういうチェーン讃岐うどんを食べて「自分はうどん好きだ」と感じた方がいれば、是非食べていただきたいお店である。

【本日のお店情報】
店名:讃岐うどん 蔵之介
住所:東京都豊島区高田3-7-15
営業時間等:
[月]
11:00~14:00(夜営業:休み) 
[火~金]
11:00~14:00
17:00~21:00
[土]
11:30~15:00
17:00~20:00

今週のブログテーマ】今回のテーマ:【「食欲の秋」】

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